浜田到の略歴
1918 ( 0歳) 6/19 ロサンゼルスに生れる
1922 ( 4歳) 清水村に帰国
1925 ( 7歳) 清水小学校 入学
1930 (12歳) 国分小学校 転校、母死亡
1931 (13歳) 旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(鶴丸高校) 入学
1934 (16歳) 短歌を作り始める
1935 (17歳) 「山茶花」に短歌を発表
1938 (20歳) 旧制姫路高等学校 入学
1941 (23歳) 旧制岡山医科大学 入学
1942 (24歳) 廣瀬富子 学生結婚
1944 (26歳) 鹿児島市済生会病院勤務、召集・入隊
1945 (27歳) 山形陸軍医学校にて終戦、除隊
1946 (28歳) 国分の谷口医院 勤務
1947 (29歳) 鹿児島市済生会病院武町分院 勤務
浜田到宅にて同人誌「歌宴」発行
1949 (31歳) 「工人」に短歌を発表
1951 (33歳) 短歌誌編集者・中井英夫から短歌依頼
塚本邦雄らとともに「短歌研究}に短歌発表
1954 (36歳) 浜田遺太郎で詩を発表
1959 (41歳) 中井英夫の依頼で496首送付
「短歌」に複数号にわたって計135首を発表
1960 (42歳) 「極」に参加
1962 (44歳) 鹿児島市武町に自宅新築、転居
1968 (49歳) 往診の帰路中に自転車事故
塚本邦雄が追悼文を「喜望峰」に掲載
1969 (s44) 歌集「架橋」 刊行
1971 (s46) 詩集「浜田遺太郎詩集」 刊行
1980 (s50) 現代歌人文庫⑤ 浜田到歌集 刊行