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浜田到の経歴

歌人、詩人。アメリカのロサンゼルス生まれ。4歳の時に両親の出身地である鹿児島に帰国。鹿児島県立第一中学校在学中に短歌を作り始める。旧制姫路高校を経て、旧制岡山医科大学を卒業。大学2年生時、廣瀬富子と学生結婚。戦後、鹿児島の済生会病院の内科医として勤務。1951(昭和26)年、雑誌「短歌研究」8月号の「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らと共に作品を発表。塚本邦雄や寺山修司らを中心とする同人誌「極」に参加。詩作品には「浜田遺太郎」のペンネームを用いた。昭和43年4月30日、往診の帰路で事故死(49歳)。没後、歌集『架橋』、詩集『浜田遺太郎詩集』が刊行される。

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